※ 今日からタイトルに日付を入れます。 変わらないこと…変わること…。
変わらないこと…。
明日…都内で講習会があるので…その症例集のビデオ編集のために休日出勤しました。
だからさぁ…もっと早く言って早く準備してよ…。
んで…ウチのPCが不調でビデオ画像を取り込めなくて…。
5時間くらい格闘した末…ビデオデッキを検査室のPCの所まで持ってきて接続して何とか編集。
あ…これで…誰でもできるやん♪ ウチだけが背負わんでえぇわ♪
正直…イヤんなっちゃいましたよ…こういう作業は…。
でもね…講習会の資料作りや症例整理,学会活動,講習会の講師…こう言うことを相も変わらず続けていかなければ…ホントにウチの病院は終わってしまう。
「西高東低」と言われるこの分野,ようやく関西の某センターに小規模ながらも迫れるくらいになってきましたよ。
「西の○○,東の××」と言うのを合い言葉に,みんな頑張ってきたんだから。
ウチとしては「横浜で倒れたら…」ってのがありながら,こう言う活動をすることは,「西日本だけでなく東日本で倒れても,どこへ行っても…」と言う体制ができあがって欲しいんですよ。
実際に,西日本に比べて講習会やら研究会があまりにも東日本では少なすぎるのね。なかなか現場レベルでうまいこと活用されてないみたい。講習会の場で受講者の質問なんかを聞いていると「まだまだなんだなぁ…」って。
「やっとこさ…」という状態で,最終的に…治療現場に出ること,救急対応,病態対比,画像診断との対比…ここまでにはなかなか結びついてない印象。
いや…講習会に来ない施設は「行くまでもなく…」ってこともあるかも知れないけど…どうなんだろうねぇ…専門医のお話もよく聞くけど…。
変わること…。
4月になりました。これまでいた先生方が辞めてしまって,縮小状態で病院は動いていかなければなりません。
上層部の思惑とは裏腹に…病院は閑古鳥が鳴くだろうに…。いや…閑古鳥が鳴けば切り離してしまえばいいから…それが思惑? そして…背後には巨大な利権が動く…。
そんなことより…助かるはずの患者が助からなくなるかも…。
先進・高度な医療があっても…人手不足では応じることはできない。手遅れ・処置不足で失うモノは大きいはず。
なんとか他院で処置されるにしても…倒れた所から遠すぎたらタイムリミットが迫ってしまう。
適切で迅速な診断・治療ができる病院は多いに越したことはない。もちろん…経営的な問題もあるかも知れないけど…それを乗り越えてでも築いたはずなのに…それを切り崩された。
「ウチでは負えません…」
こんな言葉を…これから仕事を続けていく医師は電話越しに言わなければならないことが出てくるのだろうか…。
そして…救急でなくとも…既に我が身にその一端が見えてるんですよ。
フォローアップで通院を続けてる患者。新たに病変が見つかるも「経過観察」と言う診断。そこに不安を抱く患者。そして…去ってしまった先生の腕を思えば…そんな不安も解消できるのに…。
同じように不安感を隠せない患者がちらほら出てきてます。
ウチは医師ではないから,ホントに正しいことを言えるのかは分からない。でも…ホントに主治医が下した決断が最善かは疑問。
「医師ではない立場から患者に対してセカンドオピニオンを勧めることは妥当か?」
葛藤がよぎる…。
許されるなら…「患者の選択肢が増える」と言う結果。許されなければ…「院内医師への不信の内部告発」と言う結果。
主治医に提言することはできる。でも…主治医の方針を勝手に覆すことはできない。
あくまで「主治医の方針」に則った行為だけが許されている。そして「主治医の方針が崩れない範囲内」での「判断」「発言」は許されている。
「主治医がセカンドオピニオンを考えていなかったら?」…それは…決してセカンドオピニオンを「職員の立場」として口にしてはならない。
救急医療が悲鳴を上げる…。入院患者・外来患者に不安が募る…。
でも…黙って従っていかなければならない…。
唯一できることは…「小さなことも見落とさない,見逃さない,もらさない」…と言うこと。
「見落とさず,見逃さず,もらさず」と言う姿勢で,それを確実に主治医に伝えた上でならば,我々としての最善は尽くしたことになる。
そして…それが公になることで…事態は動いていく。
もっとも…それだけを望んでいたら…「医療過誤が発生しますように」と願っているようなもので,患者にとっては不利益この上ないので…。
腐っても…「あそこの検査室は最高だ」とは思われなければ…コレまでの積み重ねを崩すことになる。
「きっと…また…ここで一緒に仕事しましょう」
そう言って…去っていく先生を送りました。
だから…戻ってきた時…「相変わらず…やっぱり…検査室には期待と信頼をおける。安心して診療できる」…そう思ってもらえるように…。
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