大事なこと,一生懸命熱くなったこと,熱く語ったこと…。
今の自分はすっかり忘れてる。
年月を重ねたから? 経歴を重ねたから? 背負っているモノのせい?
「検査とは,患者を病院に馴染ませる入口の一つ」
「検査とは,医者に今の状態や治療効果を示すもの」
「検査で得られてものは,患者を変えていくもの」
「日々の検査から,これからの検査が生まれる」
「毎日の当たり前のことが,いつかの未来になる」
「毎日の振り返りが,明日の大きな糧になる」
たくさんの項目だけど,ずっと自分が頭の中に置いておいて,後輩やらに示してきたこと。
主治医のため,患者を囲むスタッフのため,一緒に仕事する身内スタッフのため,明日の医療のため…。何より,今目の前にいる患者のため。
あるモノを見て,今の自分にそれらの思いが欠如していることに気付いた。
何となく検査をこなして結果を返す。
「お疲れ様,お大事に」
は,
「こんにちは」
と同じレベルで口にしてる気がする。
様々なスタッフに声をかけるのは,ただの「流れ」であり「義務」だから。
若い頃は,しばらく前までは若い頃から,これが常に頭にあって,それに基づいて仕事をしてきた。
後輩達や身内のスタッフには,それを植え付けるためにやってきた。
患者を囲むスタッフには,出来るだけ患者のために何かをして欲しくて訴え続けてた。
主治医には,結果を基に,色々考え,「自分の見立て」が信頼できるモノになって,患者を介抱させるためのモノになると思ってた。
そして,自分がこれからどんどん成長するためのモノだと。
これを逆の順にたどっても患者のためになるんじゃないかと…。
今の自分は,「自分が苦しいこと」が精一杯で,ホントに患者を思って仕事が出来てるのか分からない,見失ってる。
「基本だから」「流れだから」…でもそこには愛情がこもってない。
涙が出て来た…。
こんなつもりで仕事をしてきたはずじゃないのに…。
何度も同じ患者を頻回にフォローアップして検査することがあった。
患者の思いを受け止めて,うち解けた信頼感の元で検査をさせてもらって,それを報告して患者に治療や処置が施される。
何度か続くフォローアップ検査の中で,最終日を迎える頃には,
「もうすぐで退院みたいなんですよ,ホントにありがとうございました」
主治医でも担当ナースでもないのに,たまたま同じ患者を同じ自分が立て続けに検査をしていただけなのに。
患者から見れば,自信を取り囲むスタッフの全てが「自身を快方に向かわせてくれる人たち」なんだと…。
元気で退院して,外来通院で出会うと,声をかけてもらえる。
遙か昔,急性期から入院した患者さんが,娘さんとウチの近所を車椅子で散歩してた。
ウチの近所に住んでいたのに驚きだったけど,
「先生,入院中はありがとうございました。お陰で娘の付き添いが必要ですが,こうして散歩が出来ます。外の空気がありがたいです」
と声をかけられたことがある。
不安を募らせた患者が,今は待ちの空間の中で笑顔で話しかけてくる。
今の自分は,同じように働いて,患者と信頼関係を築いて,退院後に出会っても同じ言葉がもらえるだろうか…。
「患者が安心して検査を受けられなければ,より多くのデータは得られず,臨床には役立たない」
「主治医にもナースにも言えないこともある。それを聞いてあげて癒したり,入院生活の改善に努めてあげてこそ治療が成り立つ」
「正確に,多く,データを提供できなければ,全てが後ろ手に回る」
「毎日のこの仕事が,患者一人一人のためになる」
「日々の出来事が自分を育て,臨床医・ナースの信頼に結びつく」
「信頼は,お互いに助け合う十分な潤滑油になる」
冒頭と重複するけど,これが信念だった。
これを心得,多くのスタッフに伝えてきたつもり。
「どうして今はそれが出来ないの? 理由が見つかっても言い訳でしかない。本分は変わらない。どこで見失ったの?」
涙があふれてきた。
でも,そこまで出来る自信がなくて,悔しかった。
やっぱり…だからこそ…そのぶつけどころがなくて…今日も自分を痛めてしまう。
主任の横暴っぷりは検査室内を越えて,他部署にも波及してる。
検査室の信頼関係が崩れそう。
どれだけ自分が一生懸命になっても潰されてしまう。
それでもめげずに,円滑な連携を求めようとしてるけど…。
もう一度,自分を取り戻せたら,
「あの人が言うなら間違いないだろう」
「あの人とのやり取りなら協力しよう」
そして…「あの人の検査室だから…」
そんな風に取り戻したい。
PR