ホントは眠いので,日記は明日回しにして寝ようと思ったけど,ニュースを読んで「今,感じたこと」を「今,綴らなければ」と言う気持ちになった。
先日の,奈良県橿原市の妊婦の受け入れ病院探しが難航し死産した問題について,搬送にあたった救急隊員が産経新聞社の取材に応じて語った,と言うニュースを読んだ。
この問題にはいくつかの課題があるものの,現在の医療体制,社会常識,医療施策について多くの疑問と悔しさを感じてならない。
周産期医療については,産科医,受け入れ病院の不足などの根深い問題があり,医療施策として国をあげて対応を考えていないことに疑問を持つ。
奈良県では今回の問題の前にも,脳出血を合併した妊婦のたらい回しの事例がある。今回の問題を受けて,千葉でも1年半の間に45人の妊婦が受け入れ拒否されていたことも判明している。相次ぐように負傷した幼女の受け入れ拒否の事例も挙がっている。
今回の事例について,搬送に際して運転を担当した隊員(32歳の消防署消防士長)は,「受け入れ先なく動けなかった」「急ブレーキ避け徐行したが…」と言う主旨で語っている。
「救急車」としては好成績とも言える「入電して1分後に署を出発,4分後には現着」と言う状態。これだけの早さで現着に至ったのは「救急隊」としては素晴らしいことである。
「翌朝まで待って近くの病院に…」と付添い人が申し出たものの,状況の聞き取りと現状を見て「流産の可能性」「一刻を争う緊急事態」と判断し,妊婦も納得して救急搬送の段に入った。
しかしながら,指令課は何施設にあたっても「交渉中」「受け入れ不可」と言う事態。
この間,隊員は,
「なかなか決まらず、すみません」
と詫びながら,指令課と頻繁に通信を交わし,現況確認にあたっていた。
かろうじて,越県して大阪府内の病院で受け入れが可能になった。
「大阪の病院に連絡がついた。搬送してください」
との指令を指令課から受け,
「これから搬送します」
とハンドルを握って出発。
「痛い,苦しい,出血している」
と言う妊婦に,
「ゆっくり深呼吸して。今病院に向かっているから落ち着いてくださいね」
と励まし,落ち着かせ,病院と向かう。
しかしながら,やっと受け入れ可能な病院を手配できたものの,交差点に徐行で進入した際に軽乗用車と衝突。
「交差点で急ブレーキをかけると妊婦に負担をかける。少しずつ徐行しながら交差点に入ったときだった」
と,万全の体制を取りながらの搬送であったにもか変わらず,事故に遭ってしまった。
直ぐさま,引き継ぎの救急車を手配し,受け入れ先の病院に搬送されるも「死産」と言う結果になってしまった。
隊員は,病院までも付き添い,付添い人に消防署の連絡先を渡している。
せめてもの責任感だったのだろうか…。
結びに,
「患者の不安や痛みを少しでも和らげるためにも,受け入れ先がすぐに決まるようなシステムにしてほしい」
と,切実に語ったそうである。
救急車はまず「どれだけ早く現着できるか」と言うのが第一課題になる。「時既に遅し」で現着となるようでは先に進まない。
そして,エピソードと現状を手早く把握し,最前の判断を下し,それに基づいて指令課とやり取りを始める。「迅速に現着」となっても「状況把握を謝る」「判断を誤る」と言う事態になれば,またそこから先に進むことはできない。この時点で,救急隊員は「命を預かった」と言う状態になる。
続いて,素早く指令課が各病院と交渉して受け入れ可能な最前の病院探しをし,見つかり次第,搬送の指示を出す。「迅速な現着」が行え,「正確な状況把握・判断」が行え,適切な受け入れ先を見つけられなければ,「命を預かったままで,命を預ける先」にたどり着けない。
ようやく受け入れ先が決まった所で搬送開始。ここでも細心の注意が必要になる。いかに「優先車両」と言えども,「基本的な交通法規」に準じた運転で搬送しなければならない,決して無茶をしてはならないし,急ぐことだけを考えていたら,患者負担・事故発生に繋がってしまう。「預かった命」を「受け入れ先に預ける」までは任務は終わらないし,任務の失敗となる。
最終的に,無事に早く受け入れ先に到着して,引き継ぎを終えた所で「命を預かった」隊員は,施設・医師に「命を預ける」と言うことになる。
今回も含めた事例で大きな問題になること。
第一に「受け入れ先がなかなか見つからないこと」である。病院側としても断らざるを得ない事態はある。しかしながら,越県しなければならない,つまり「県内に受け入れ可能な病院が1施設もない」と言う事態。
調べてみると,出発した消防署から受け入れ可能な病院まで65km。5分程度で現着したことを考えると,大きな距離差はないと考えられる。65km先まで行かないと受け入れられない事態。受け入れ可否の交渉を除いても,時速65km/hノンストップでも1時間。実際に普通乗用車で走行すれば2時間近くはかかる。
距離だけで言えば,横浜からディズニーランドまで行ける。「横浜からディズニーランドに行く」と言うと,その拘束が使えるとは言え,距離数だけでも大変なものだ。
どうしてそこまでの距離をおかなければ,受け入れ可能な病院が見つからないのか…。
福島県での前置胎盤による医療事故を受けて以来,産科医が引き上げていくのは顕著。そしてかねてより「なり手のいない診療科」でもある。「県外出産は必至か」とまで言われたが,現実に起こっているとは…。しかも前回と同じ奈良県である。「対策を講じたがウマくいかない」とのことだが…。
そろそろ国も腰を上げるべきではないだろうか。
実際には,途中の事故があったとは言え,所要時間は4時間。
「翌朝を待って近くの病院に…」と言う当初の申し出と同等の時間がかかっている。
何のための「救急隊員の迅速な現状把握・判断」であったのか…。
そして…緊急車両に対する一般車の対応も問題になる。
どの様な経緯で事故に至ったのかは分からないが,「一般車の緊急車両に対する対応」については,日常生活の中でも「?」と思うことが多い。
交差点であれば,サイレンが聞こえてもどの方向から緊急車両がやってくるか分からない。だからこそ「待機して緊急車両が通過するのを確認してから発進」と言うのが常識ではなかろうか? 救急車も無理矢理に交差点に進入することはなく,サイレンを鳴らし声をかけて,徐行・一時停止しつつ交差点に進入する。
それでも事故が起きてしまうとはどう言う事態なのか?
何回か経験があるのだが,サイレンを聞いて,できるだけ端に寄せてハザードを点滅させて待機していたら後続車にクラクションを鳴らされたことがある。邪魔にならなさそうなバイクに乗っていた時から端に寄せて停車する習慣があったのだが…。
緊急車両の存在に気付きつつもどこからやってくるか分からなければ,とりあえずは「どこから来ても円滑に通過できるようにスペースを空けて停車して通過を確認する」と言うのは当たり前のことだと思っていたのだが,「今時の一般ドライバー」には「視認できた緊急車両に配慮すればいい」と言う程度の流儀なのだろうか…。
もし,混雑している交差点に進入してしまったら,「緊急車両は立ち往生で,方々の車がひしめき合いながら時間をかけて通過可能なスペースを作る」と言うのが当たり前になってしまっているのか…。
妊婦だけの問題ではないが,一刻を争う,命のかかっている事態はいくらでもある。
救急隊員は「命を預かる」と言う立場から,できるだけ早く現着し,正確かつ適切な現状把握・判断をし,安全かつ迅速に受け入れ可能施設に搬送して「命を預ける」と言うのが任務である。
そして,そんな救急車が任務を全うできるように配慮するのが「運転免許を所持する者」としての義務だと思う。
医療体制の問題はそろそろ国をあげた対応を考えなければならない。一般ドライバーは緊急車両をいかに安全かつ円滑に通過させるかを考えなければならない。
ウチでは妊婦は受け入れないものの,「命に関わる患者」を受け入れる施設。発症者を可能な限り受け入れ,発症したらできるだけ早く到着してもらい,迅速な検査と治療を施していきたい。そのためにも国と社会の変革は必須だと思い,現状に遺憾の意を感じるとともに,命の尊さに涙を流した。
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