
十年前に頑張っていた仕事を,今も続けていますか?
勤続10年までは後2年。
なんだか切実そうな感じの日記を書いてみたけど,10年目を迎えた時に「十年前に頑張っていた仕事を,今も続けていますか?」って自分に問いかけたらどうなんだろうね。
逆に…「十年前に夢見ていたことを,今は追いかけてますか?」ってことかな。
10年前と言えば…大学2年生かなぁ…。既に今の職種を志した上で大学に入って…そのために勉強してた。
専門にしていることは違うけど,あの頃に思っていたような就職先で,あの頃に思っていたような気持ちで仕事をしていると思う。
10年経って変わったことは,専門にしていることが違っていること,心の病を抱えてしまっていること,プランニングが遅延していること。
でも根底にあるモノは変わってないかも。
色んなコトを考え,色んなコトを不安に思って,心身共に不安定だけど,根底にあるモノは変わってないのにね。ちょっと自信をなくしただけ,コワいモノが増えただけ。
脳波の検査中って,外界と遮断されてるから,散漫にならない程度に考えコトをすることがある。
なんとなく…「1ヶ月くらい"OJ日記"してないなぁ…」なんて思ってて。「これから何かが変わっても自分は大きく変わる?」とか思ってて…。
月が変わったから「OJ日記」を再開してみた。何か変わったコトというか今までやっていたことをやってみることで,ちょっと今の状況から抜け出せる気がした。
それと…今も…「生を救うこと」「救われた生をより高めること」を考えてることは変わってないんだよね。
ここで脳波の検査を受けている患者さんは,脳出血で倒れ発語もなくなってしまった患者さん。うまくしゃべれないけど,歩くことはできないけど,たどたどしくも自分の言葉で自分の言いたいことを伝えることができ,歩けなくても介助なしで車いすとベッドを移動できる。
「後遺症を最小限に抑えながら,少しずつできることを広げていく」と言うのが,目の前にいるこの患者さんの今の課題。
その一助となっているのが,今ココでやっている脳波の検査。「どの薬を,どのくらいの量で」と言うことが決まれば,少しでも後遺症を抑えながらリハビリをして,日常復帰に近づける。
「圧倒的に"救急救命"が少ない」と言うことは昨日の日記とも変わらない現実。でもそれを理由に何もかも投げ出したら「九死に一生を得て日常復帰を目指す」と言うプロセスを無視してしまうことになる。
今はまだ救急患者さんは入ってくる。少なくともまだ「救命救急」の場にいることは変わらない。目の前にいる患者さんを,いかに早く適切な治療に導くか,それは今でも変わらずにできることで,まだしばらく続く仕事。
一方で「病後のこれから…」と言う患者さんの一助になっていくこともこれまでやってきた仕事。
どちらにも優劣をつけることはできない。だた「存在する絶対数」を見て悲観してみただけ。「社会の裏側」を見て悲観してみただけ。
本当に,権力者の利権の道具になって機能を果たさなくなるまでは,やらなきゃいけない仕事の本質は変わらない。
まだ「機能」があるうちは,今まで通りにやっていくしかないし,「機能を果たさなくなった時」と言うのがやってきたら,これまでの努力と経験と知識を持っていれば,また同じ気持ちで仕事ができる機会がくるはず。
原点回帰。
「先を見越す」と言うことは大事かも知れないけど,「目の前にあるモノ」を見落とすわけにはいかない。「目の前にあるモノ」は,まだ変わらないから。
10年前と同じ気持ちで今を生き,10年後も同じ気持ちで未来を生きていくつもり。
こ~んな単純なことがなかなか分からないんだなぁ…。
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